第69回 なんでもない道

正子さんが描いたレモン

私には何人かの恩人がいる。なかでも親友の正子さんのことは、しばしば想い出す。私より7歳年上だった。25年前の私は子育て真っ最中で、経済的にも苦しかった。自分の行く手が見えなかった。好きだった油絵を短期大学で学び始めた。当時その大学で、日本人を見かけることはまずなかった。それなのに学期末、ポットラックパーティのテーブルに巻き寿司の一皿が並んでいた。私はきちんと巻かれたその寿司を一体誰が作ったのだろうと、まじまじと見つめていた。と、背後から声がした。「あなた日本人?」。それが正子さんとの出会いだった。

それからしばしば会うようになった。私の仕事が休みの日はランチを一緒に食べようと、朝の10時に彼女の海辺の家に行き、結局、ディナーまで引き止められ、夜の10時までいるのが常だった。12時間もぶっ続けで彼女が話し、私は夢中で聞いた。

世の中にこれほどたくさんの本を読み、世界中の珍しい地域を旅し、そこでしか求められない分厚い美術書、繊細な陶器や美しい布を集め、愛でている日本人女性がいるのかと、心底驚いた。イギリスで結婚して2人のこどもを産み、米国に帰国し、3人目のこどもを身ごもった時、米国人夫と別れた。日本では百科事典の編集者で、頭脳明晰、才能豊か、誠実で勤勉。夫に経済力があったので働かず、絵を描き、コンサートに行き、世界旅行するという生活だった。

米国の富裕層のかけ離れたスケールの生活に仰天した。まったく違う世界があるんだ。彼女のこどもの16歳の誕生祝いは本物の馬で、最初の車はレクサスだった。しかし彼女はそんなことはひと言も自慢しなかった。私は、あまりにも自分とかけ離れた生活を呆然と眺めていた。ただ、彼女の本棚に並んでいる絢爛豪華な美術書だけは、羨ましくてしかたがない。見せてほしいと言うと、彼女はいつも小さく笑った。

生活は天と地の差があるのに、どういうわけか話が合った。互いにおもしろくて止まらなかった。今から思えば、正子さんはきっと寂しかったのだろう。自分が直接見たもの、実際に聞いたことを誰かに話したかったのだろう。私には、夢のような豊穣な時間だった。

世界を一人で歩き回った話の中で、ある日、彼女はこう言った。「ベートーベンが毎日散歩しながら、あの『歓喜の歌』を作った道があるのよ。そこを探して、やっと見つけて歩いたの。小川に沿ったなんでもないただの小道で、がっかりしちゃった」と。私はその言葉に衝撃を受けた。幾世紀も、世界中の人々に愛され歌い続けられている名曲が、なんでもない、つまらない小道で生まれたなんて。「なんでもない、つまらない道」。その後、何度この言葉が頭の中をよぎったことだろう。そうか、目に見える外ではなく、見えない内なんだ。

ゴッホが晩年、狂気に侵され、最後に描いたのが『カラスのいる麦畑』という絵だ。麦畑の道が途中で3本に別れ、どの道を行ったら良いのか迷う。辺り一面の麦畑は強風に煽られてワサワサ。嵐が来そうな暗い空に、黒いカラスの群れが舞っている。カアカアと狂ったように泣き叫ぶ不気味なカラスの声さえ聞こえてきそうだ。この絵を描いた後、生涯兄に送金し続けた弟テオの死に絶望し、ゴッホは拳銃自殺を図った。

その場所を麦畑の中から探し出したという写真を雑誌で見た。一体どんな所だろうと、緊張した。ところが、まったくあっけないほどつまらない麦畑の中の道なのだった。ああ、そうか、なんでもない道だ。やっぱり。

陶芸をやっていた正子さんがある日、左手の小指の先が痛むと言い始め、そこから病気が発覚し、その1年後に癌で静かに去った。亡くなる3日前まで、窓から海の見えるベッドの傍で二人で話した。ひと言も泣き言を言わなかった。人はこうして生き、死んでゆくのだと、見せてくれた。

スペインの哲学者オルテガは言う。過去の先人たちの経験の積み重ねの上に現代社会があり、我々がいる。だから過去の人は死者となって、今、私たちと一緒に生きていると。

大切な人と生きる時間軸がずれ、同じ時を生きられないことは、人生では多々ある。正子さんと話すことはもうできない。しかし、正子さんは死者となって私と一緒に、なんでもない道を歩いてくれているのかもしれない。そして背後から私にいつも問いかける。「あなた、なんでもない所に何か見える? 何か聞こえる?」と。ちょうど、「あなた日本人?」と声をかけてくれたあの時のように。

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

この著者への感想・コメントはこちらから

Name / お名前*

Email*

Comment / 本文

この著者の最新の記事

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. 日本では、何においても横並びが良しとされる。小学校への進学時の年齢は決まっているし、学校を...
  2. Water lily 今年は年頭から気にかかっている心配事があった。私は小心なうえに、何事も...
  3. 峡谷に位置するヴァウリアル滝の、春から夏にかけて豪快に水が流れ落ちる美しい光景は必見。島には約16...
  4. 2024年6月3日

    生成AI活用術
    2024年、生成AIのトレンドは? 2017年に発表された「Transformer」...
  5. 今年、UCを卒業するニナは大学で上級の日本語クラスを取っていた。どんな授業内容か、課題には...
  6. ニューヨーク風景 アメリカにある程度、あるいは長年住んでいる人なら分かると思うが、外国である...
  7. 広大な「バッファロー狩りの断崖」。かつて壮絶な狩猟が行われていたことが想像できないほど、 現在は穏...
  8. ©Kevin Baird/Flickr LOHASの聖地 Boulder, Colorad...
ページ上部へ戻る