女性起業家&プロフェッショナル

Text by Keiko Fukuda

顧客のビジョンを具現化
夢はホテルのデザイン

Los Angeles
星野 和子
スタジオ・ウィリアム・ヘフナー
インテリア部門プリンシパル
Studio William Hefner
http://williamhefner.com

 

ゼロからクリエイト

アメリカに来る前は跡見学園で、彫刻を専攻していました。もともと海外でアートを勉強したくて、大学卒業後はお金を貯めるために貿易会社でエグゼクティブ・セクレタリーのような仕事をして働きました。

ロサンゼルスに来たのは1991年です。最初はコミュニティカレッジに通い、さらにアートのクラスも取りました。そして、グラフィックデザインの教授から勧められたカルステート・ノースリッジのインテリアデザインのクラスを取ったところ、興味を引かれました。そのクラスの教授にはUCLAに行くといいと言われ、私のために推薦状も書いてくださったんです。UCLAでは、自分の将来の仕事はインテリアデザインだという手応えを得ました。デザインの仕事では、白いキャンバスを土台にそこから何でもクリエイトできます。なかでもインテリアデザインは規模が大きく、いかに空間をデザインするかで、そこに暮らす人間の心理にも影響を与える点で大きなやりがいを感じられると思えました。

UCLAのコースを修了したのは1996年でした。最初はインテリアデザインの会社に就職、その後、ウェストハリウッドにあるデザインセンターのショールームで働き始めました。その時にはタイのシルクの工房に出かけて色を選んだり、ヨーロッパに行ってファブリックをデザインしたりと、貴重な経験を積むことができました。

夫のウィリアム・ヘフナーさんは会社の代表兼建築家。
「夫婦一緒に働くのは良くないと思ったが、やってみたら成功した」

不況時にはブランド再構築

ウィリアム(和子さんがインテリア部門の責任者を務めるスタジオ・ウィリアム・ヘフナーの代表で建築家)とは1997年に結婚しました。最初は別々に働いていたんですが、ウィリアムからインテリアを頼まれて、韓国の財閥の邸宅のプロジェクトを一緒にやったんですね。夫婦で同じ会社で働くのは良くないんじゃないかって思っていましたけど、やってみたら大丈夫だったんです(笑)。だから、1998年にウィリアムの会社に入社して以降、インテリアデザインとランドスケープを手がけるようになりました。私が入った当時はスタッフの人数は10人でしたけど、20年後の現在は40人です。

大変な時期? それはやはり、2008年のマーケットがクラッシュした時期です。不動産市場も停滞してしまい、私たちが進めていたプロジェクトのほとんどがストップしてしまいました。そんな時に何をしたかというと、1年間かけて、会社のreinvent(改革)を実行したのです。まず、それまでウィリアム・ヘフナー・アーキテクチャーだった会社名をスタジオ・ウィリアム・ヘフナーとすることで、建築だけではない、インテリアもランドスケープも包括的に任せられる会社だというイメージを打ち出したこと、さらにロゴも変え、ウェブサイトを作り直しました。ひたすら、市場が盛り返す時に備えて一生懸命に準備をした1年でした。確かに経済的には簡単ではありませんでした。数人のスタッフをレットゴーすることにもなりました。それでも、もともとうちのスタッフは皆、長いんですよ。10年以上勤続している人が多く、17年という人もいます。

みずから手がけた中庭がある個人の邸宅。常に60件のプロジェクトが進行中

壁は絶対に克服できる

プロジェクトは大小含めて、60件くらいは同時進行しています。昨年、担当した、あるクライアントのインテリアデザインの予算は200万ドルでした。ご自宅の建設費用自体に2000万ドルかけていました。大きな金額ですし、私も、いかにクライアントをハッピーにすべきかを考えています。自分の仕事がサービス業であり、お客様あってこそだと認識することが重要です。たとえば、イタリアのルネサンス期のメディチ家と建築家ミケロッツォとの関係。顧客のビジョンを具現化するのが建築家の役割です。その結果、あのような素晴らしい、後世に残る建築物が完成したのです。ですから私も、お客様が何を求めているのか、それを徹底的にヒヤリングして、それをどのように形にするのかを模索します。そのためには、お客様が日々どのように過ごしているのか、自宅にゲストを呼ぶ際には何をしてもてなすのか、何人招待するのか、スタイルはカジュアルかフォーマルか、すべてにわたって知る必要があります。クライアントの話を聞くのは、ウィリアムがとっても上手なんです。私はそれをそばにいて聞きながら学んできました。そして、家が完成してハッピーになったクライアントは、友人に私たちのことを薦めてくれます。「家を建てるなら、絶対に彼らでないといけない」と言ってくれるのです。

今後の夢はホテルのデザインを手がけることです。いつかやりたいです。夫婦で旅行する時も、勉強のためにいいホテルに泊まるようにしています。東京のアマンリゾートなどは、あの空間に足を踏み入れた瞬間に自分の何かが目覚めるような、インスピレーションを感じます。そういう空間を自分でクリエイトしたいです。

これからアメリカで自分の仕事で夢を掴みたいと思っている方へのアドバイスは、ただ、“Keep working hard, never give up(一生懸命働き続けて。諦めないで)”ということです。ダメかなと思っても、壁にぶつかっても、それを克服することは絶対にできます。私は自分が挑戦したいことに対して人に「それはダメでしょう。無理でしょう」と言われても、どうしてそんなことを言うんだろうと思ってしまいます。私のボキャブラリーにそのような言葉はないのです。

東京生まれ。跡見学園女子大学文学部人文学科を彫刻専攻で卒業。1996年UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のインテリアデザイン・コースを修了。1998年にロサンゼルスの建築事務所ウィリアム・ヘフナー・アーキテクチャーに入社し、インテリア部門の代表を務める。10歳の男の子を持つワーキングマザー。
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福田恵子 (Keiko Fukuda)

福田恵子 (Keiko Fukuda)

ライタープロフィール

東京の情報出版社勤務を経て1992年渡米。同年より在米日本語雑誌の編集職を2003年まで務める。独立してフリーライターとなってからは、人物インタビュー、アメリカ事情を中心に日米の雑誌に寄稿。執筆業の他にもコーディネーション、翻訳、ローカライゼーション、市場調査、在米日系企業の広報のアウトソーシングなどを手掛けながら母親業にも奮闘中。モットーは入社式で女性取締役のスピーチにあった「ビジネスにマイペースは許されない」。慌ただしく東奔西走する日々を続け、気づけば業界経験30年。

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